やはりというかなんというか

やはりというかなんというか、気がついたら最初のエントリーからひとつき近く立っているではないか。

悪い小人が怒って指をパチンと鳴らし、時間を飛ばしたに違いない。

しかしなんとも、ひとつきと言わず今年は一年全体が飛んでいってしまったのではないかと思うような年だった。

ミシガンにも行こうと思っていたのに、それどころではなかった。不安もあったが妙な安心もあり、不思議な年だった。

個人的には自分のキャリアの転換点となるような貴重な年だった。新しいことをたくさん覚え、学び、これまでの自分をそこにどう投影していこうかと四苦八苦した。まだうまくできていないけど、まあ、頑張るしかないので頑張る。

そんなことより、私はこのブログでは志高く、音楽について語ろうと目論んでいたのである。なのに一向更新もされず、更新されたかと思ったらぼんやりとした戯言なのだから、困ったものである。

 

しかし私は目論見をやめない。次回の更新はベートーヴェンピアノソナタについてである、と予告しておこう。

ブログを始める

ブログは十年以上ぶりだ。文章を書くのは好きなんだけど、なんだかんだと理由をつけてブログはやってこなかった。

自分の考えていることや、感じていることをオープンにすることにあまりメリットを感じなかったのだ。何気ないことでも書いて誰かを傷つけたり、自分自身にとって不利益なことを思わず書いたりしたくなかった。

 

でも、最近になって過去の写真や自分の書いた文章を読み返してみると、あまりにも多くのことを自分が忘れ去っていることに気づいた。

感情、考えていたこと、とても良いアイディアだと思ったこと、もらった言葉。

 

過去の十年は色々な場所に住んだ。同じ町の中で引っ越したことも含めれば、引っ越した回数は二桁になるかもしれない。引っ越すたびに新しい人間関係を築き、そこで使う言葉を覚え、ルールを覚え、仕事を覚え、そして愛着が湧き始めたその頃に新しい場所に移った。

そうやって暮らすことは私に色々なことを教えてくれた。色々な人があり、仕事があり、考え方があること。私に理解できること、理解できないこと。愛すること、愛されること。全てを知ることはできないと知ることが、賢さの始まりなのかもしれない、ということ。

そうやって、新しい情報を自分の中に詰め込んでいくうちに、私の脳が勝手にいらないと判断した情報たちはどこかへいってしまった。生きていくために捨てられた想いたち。

 

「何も覚えてないんだね」

と言われることがある。そう言われると、少し罪悪感がわく。覚えていることもあるのだ。あの時の景色、音、匂い。

でも、覚えているべきだった言葉たちが私のどこか奥深くにしまわれて、死ぬまで出てこないとしたら、それはなんだか寂しい。思い出させてもらったとしても、それは私の記憶ではなく誰かの記憶を再現した言葉だ。

 

久しぶりにブログを始めるのは、私がただ生きていたらそのまま記憶から捨てていく想いの置き場を作りたいからだ。

 

続くのか続かないのか、それは神のみぞ知る。